2021-05-18 第204回国会 参議院 財政金融委員会 第11号
夏目漱石の「彼岸過迄」とか、幸田露伴、谷崎潤一郎といった文豪たちの作品に登場するような名店であります。青森県弘前市の奥膳懐石翠明荘、これ登録文化財でありまして、これも影響を受けるということで、相次ぐ閉店が続いています。
夏目漱石の「彼岸過迄」とか、幸田露伴、谷崎潤一郎といった文豪たちの作品に登場するような名店であります。青森県弘前市の奥膳懐石翠明荘、これ登録文化財でありまして、これも影響を受けるということで、相次ぐ閉店が続いています。
幸田露伴のこうした言葉を紹介をしたいと思います。我々はややもすると努力しないで事を成し遂げたいと考えがちだが、こういう考え方はきっぱりと捨てよう、努力よりほかに我々の未来を良くするものはなく、また努力よりほかに我々の過去を美しくするものはないのである、努力はすなわち生活の充実であり、努力はすなわち各々の自己の発展である、そして努力はすなわち生きることの意義そのものなのであるという言葉があります。
そうすると、少なくともわれわれが明治時代に非常に誇りに思っておった作家である夏目漱石なり、森鴎外なり、あるいは幸田露伴の「五重の塔」でも、そういうものをいまの高等学校の生徒が読めるだろうか、どうだろうか。これは終戦後、文部省でもいろいろおやりになっていると思うのですが、やはり国語問題について、少し掘り下げてみる必要がありはせぬか。私たち、子供のときに片かなから習ったが、いまは平がなから習っている。
幸田露伴氏のごとき、福沢諭吉氏のごとき、いずれも院議をもつて弔辞を贈つておるのであります。この辺も合せてお考えを願いたいと思います。
幸田露伴なくんば露伴文学はこの世に生れなかつたのであります。或いはエジソンなくんば電気の惠沢に我々は浴せなかつたのであります。野口英世博士なくんば黄熱病の災禍から人類は免れ得なかつたでございましよう。これらの文化創造者は他人の労働を何も搾取しておらないのであります。みずからの頭脳と努力によつて文化を創造し、その惠沢は人類がこれを受けておるのであります。
過日の委員会において國会が表彰するということを申したことは、先頃幸田露伴翁が亡くなりまして、文化委員長たる山本勇造君が、議場において國会に関係のない故人に対して追憶の辞を述べられた、ああいう方法によつて表彰するということを意味したものでありまして、勲章を贈るというようなことについては考えはないということを御承知を願いたいと思います。
先般総理大臣は幸田露伴先生の部屋を親しく訪ねられて、あの偉大なる文化建設者の労にお報いになられたあの事実は、私、國会議員として、また國民の一人として、ほんとうにうるわしく首相の人情ある一面と考えたのでありまするが、速やかに悠久の眞理を公表するような榮典制度を設けて、政治、文化、教育、勤労、産業各方面における功労者を報いるというところに、そして平和な國家の潤いのある一面を、何物かによつて求め得るようにしていただきたいものだと
たまたまその項に文豪の故幸田露伴氏の死亡に兩院における院議によつて弔詞を贈りたいということがありました時に、例えばスポーツ、オリムピックにおいて世界記録を破つたというような時には、この國會として、それを表彰ずるというよつなことも一應考えてはよいじやないかというような話が出たのでありますが、ところがその後夏季におきましていろいろなスポーツが行われております中、たまたま古橋選手が水泳におきまして世界記録
これはそういうギリシヤの例もありますことですし、又そういう文士が勳章を貰つて何になる、文士は立派な藝術を作ればそれが最大の榮譽であるのであつて、これは幸田露伴先生が文化勳章を受けられたときにも、屈原の例などを引かれて、古來文學は政治權力によつて表彰されて榮えた例がない。
親孝行する者は親孝行者として賞せられるから親孝行しておるものではない、むしろ親孝行の方が先だ、それは社會が尊敬するという意味であつて、本人を表彰するという意味ではない、我々が尊敬しますということが勲章の趣旨であります、私はその意味において、決して幸田露伴先生はそういう意味で排斥されておるのじやないと思います。自分は勲章に釣られておるのではない、これは當然の話である。
先般國會の決議として、幸田露伴先生の追悼決議がされましたが、これは、私、あのとき感無量、實に押さえがたい喜びを感じたものであります。少くとも今後は、私たちは文藝に演劇に科學にあらゆる點においてこうした功勞者を國家の最高功勞者として報いる。現に文化勲章そのほかの何らかの名稱をもつて、ここに國家の功勞者として報いる途を開くべきである。
○松本淳造君 藝術院会員幸田露伴先生は、先月三十日午前九時十五分、市川市の自邸において逝去せられました。本日は同地において午後二時から告別式が挙行されるやに聞いておるのでございますが、私は、ここに議長の御発議によりまして、衆議院が弔詞を呈することに対しまして、満腔の賛意を表する次第であります。
(「贊成」「異議なし」と呼ぶ者あり)今度は幸田露伴先生の問題でございますが、文化委員長の方から、幸田露伴さんがお亡くなりになりまして、これに對して參議院としてやはりなにか哀悼の意を表したい、こういうお話しがございました。これは衆議院の例をみましても、やはり國家の元勲とか、その他に對して、議員であられない方に對しても弔詞を呈していることは例がございます。
我々文学者の中で、戰爭中における文学者の一番しつかりした態度の人は誰であつたかといつたならば、私は幸田露伴翁を一番最初に数えて恐らく間違いないと思うのであります。戰時中に翁の作られました俳句に、「春霞國の隔てはなかりけり」と云う句があるそうであります。「春霞國の隔てはなかりけり」戰時中の作であります。